第5章 陸
翌日には部屋の布団はすべて新しいものに取り替えられていた。
白く張りのある絹でできた三枚重ねの敷布団。
まだ糊の匂いがわずかに残る掛け布団。
何もかもが“なかったこと”にされたような、整然とした寝所。
それなのに。
ふとした瞬間に漂う残り香が、どうしても消えない。
畳に染み込んだのか、障子に移ったのか、それとも自分の記憶が勝手に再生しているだけなのか。
甘く、熱を帯びた夜の気配が、部屋のどこかに確かに残っている。
朝、目を覚ますたびに。
瞼の裏に浮かぶのは、直哉のあの荒い呼吸と、近すぎる体温。
低く囁く声。
自分を求める指の力。
「……また」
小さく呟いて、は額に手を当てる。
淫らな記憶が、意に反して鮮明に蘇る。
思い出したくないのに、身体の奥がそれを覚えている。
そんなことは初めてで、少し、困っていた。
朝の準備をしていると戸の向こうから、控えめな声がかかる。
「」
母親の声。
数ヶ月に一度、様子を見に来ることになっている。
戸を開けると、母は表情の読めない顔で立っていた。
その手には、小さな木箱。
「これを」
差し出された箱を受け取ると、中には整然と並んだ避妊用の薬。
「ちゃんと毎日飲みなさいね」
感情の起伏のない、事務的な声。
「……わかりました」
は静かに頷く。
母の顔を見て、ふと思う。
会わなかった数ヶ月のあいだに、少しだけ老けたように見えた。
目尻の皺が、深くなっている。
「直哉様の機嫌を損なわないように」
念を押すように言われる。
それだけ。
体調はどうか、とも。
眠れているのか、とも。
辛くはないか、とも。
何一つ、問われない。
母は用件だけを済ませると、あっさりと帰っていった。
戸が閉まる音が、やけに乾いて響く。
木箱を抱えたまま、はしばらく立ち尽くす。
守られているのか。
管理されているのか。
わからない。
ただ、胸の奥に、言葉にならない空白が広がる。
新しい布団の上に腰を下ろすと、またあの残り香がふわりと漂った。
消えない。
まるで、直哉の存在そのものが、この部屋に染みついてしまったかのように。
はそっと目を閉じる。
忘れたいのか。
忘れたくないのか。
その答えを、自分では見つけられない。