第3章 参
翌朝。
直哉は、どうにも落ち着かなかった。
昨夜――いや、思い出すまいとするほど、記憶は皮肉にも鮮明になる。
押し倒された、あの一瞬の重み、視界に広がる彼女の滑らかで妖艶な肉体。
自分が見下ろされ、身動きも取れずにいたという事実。
屈辱、としか呼びようのないそれが、胸の奥でまだ燻っていた。
だから、顔を上げられない。
しかし、視線は勝手に動く。
手元の膳を見ているつもりで、いつの間にか彼女の指先や、袖口、伏せた睫毛を追ってしまっている。
そしてそれに気づかれる。
「……どうかされましたか?」
穏やかな声。
ふと顔を上げると、がこちらを見て、柔らかく微笑んでいた。
その瞬間、直哉は反射的に目を逸らした。
――腹立たしい。
膳の上には、朝餉とは思えぬほど整えられた料理が並んでいる。
白米は一粒一粒が立ち、湯気を含んで艶やかだ。
味噌汁は赤だしで、豆腐と若布、刻み葱が過不足なく浮かんでいる。
小鉢が多い。
胡麻和えにした青菜。
ほのかに甘い出汁で炊かれた南瓜。
小さく切り分けられた出汁巻き卵。
漬物は三種、色味まで考えられて配置されている。
焼き魚は皮目が香ばしく、骨の処理も完璧だ。
どれ一つとっても、非の打ちどころがない。
の所作も同じ。
すべてが控えめで、美しく、無駄がない。
まるで最初から「こうあるべき形」を知っているかのようだ。
それが、苛立たしかった。
完璧すぎる。
何もかもが整いすぎている。
そこに昨夜の出来事を思い出させる要素は一切なく、まるで自分だけが一方的に乱され、振り回されているような気分になる。
(……ふざけるなや)
自分は何も変わっていないはずだ。
この家の中で、揺らぐ立場ではない。
それなのに。
彼女を見てしまう。
見られていると分かると、目を逸らす。
そのたびに、胸の奥がざわつく。
「お味、いかがでしょうか」
何気ない一言に、直哉は一瞬だけ言葉に詰まった。
「…いつもと同じや」
ぶっきらぼうに返すと、は何も言わず、ただ小さく頷いた。
その仕草すら、腹が立つほど静かで、整っている。
自分だけが、昨日のまま立ち止まっている。
そう思うと、直哉は箸を強く握りしめた。
完璧な朝餉の中で、最も乱れているのは――
他でもない、自分自身だった。