第32章 君の涙が止むまでの十分間
「久しぶりに君の涙を見る気がする」
「ん……そう…ですか…んぅ…」
七瀬の左頬をいつもの仕草 —— 右掌で柔らかく包むと、愛おしさがじわっと浮かぶ。
嬉し涙は度々目にしているが、そうではない涙はやはり久方ぶりだ。
少しでも気持ちが軽くなって欲しい。
ポロポロと彼女の目から流れる涙を唇でまた受け止めたが、なかなか止まりそうにない。
こんな時はここにも愛撫を届けよう。
ひくひくと体を震わせている七瀬を受け止めるのも悪くはないが、自分が見たい物はやはり ——
ちう、と触れて啄む口付けを複数回施すと、流れる雫がやや収まって来た。良かった。少しは落ち着いてくれたか?
名残惜しいがこの後は互いに任務がある。
左頬を包んだまま、ふっくらとした七瀬の唇からゆっくりと離れた。
「本当はもっと君に口付けたいが、任務前だ。これですませておく」
ここで終わらせないと、理性が抑えられなくなってしまうからな。
自嘲するように笑った俺は最後にもう一度だけ、彼女に口付けを贈る。
「お気遣いありがとうございます」
気遣ったわけではない、基本的には俺の為だ。
そんな自己中心的な思いを隠すようにぎゅうと抱きしめてやると、自分の背中に七瀬の両腕がそっと回った。
彼女の左耳が俺の心臓の位置へ、ピタリと密着する。
「七瀬はそうするのが本当に好きだな」
「はい、杏寿郎さんの心音を聴くと物凄く安心できるし、力も貰えるんです」
「そうか…」
今度は俺も彼女の心音を聞いてみるとしよう。七瀬がどんな思いを感じているのか、共有してみたい。
父と弟が帰宅するまでのたった十分間。短い時間であったが、とても大事なひとときだった。
二人を玄関で迎えた時、恋人は普段通りの朗らかな笑顔に戻っていた。