第20章 【第十九訓】でんでん虫虫エスカルゴの話
「忘れられるって寂しいね。ジャン・ジャック・ルソー」
○○は犬と戯れていた。
太郎という名のその犬は、偉大なる思想家へと成り代わった。
突入したおばあさんの座敷には、息子と娘の三人が揃っていて、おばあさんが入院することをおじいさんに告げた。
おじいさんはすぐに部屋を出て行った。「愛人に会ってくる」と言い残して。
「私、あんな風に気丈でいられるかな」
○○は太郎の頭を撫でた。
愛し、愛された人の記憶から自分が抜け落ちても。
おばあさんは、おじいさんを放っておいてあげてと頼んだ。花火を辞めたのは自分のせいだから、あんな風にしてしまったのは自分だからと。
「銀さんもヅラも、私に忘れられてるのに悲しいとか思わないのかなァ。私に忘れられてもどうでもいいっていうことなのかなァ。ね、ジャンバルジャン」
太郎は物語の主人公になった。
銀時も桂も、記憶を失った○○に対して、寂莫の感はまるで見せない。
自分の存在が忘れられているというのに。
「○○に忘れられても、悲しくもなんともないワン。どうでもいいんだワン」
「そうだよね。そうじゃないなら、思い出させようって手伝ってくれるよね」
銀時が記憶を失った時のように。
○○は太郎の頬を両手で挟みながら会話をする。太郎は舌を出してハアハアと息を漏らしている。
犬との対話。○○による腹話術。
「僕は骨っこさえ食べられればどうでもいいワン」
「ごめんね。私まだ生きてるから骨はあげられないよ」
「じゃあ肉ごと噛み切ってくれるワァァァァン」
「あーれー、お助けェェェ」
「丸のみだワァァァン」
観客のいない一人芝居。太郎は成すがままにされている。
自分の行いにようやくあほらしさを感じ、○○は太郎の頬から手を離す。
○○は太郎の頭を撫でながら、ポツリと言葉を落とした。
背後に黒い影が落ちていることにも気づかずに。
「ねェ、アゼルバイジャン。記憶を失くす前の私も、銀さんのことが好きだったのかなァ?」
今の自分は、あの男に惚れている。