第17章 殺したくてたまらないという顔
悲鳴を寸前で飲み込めたのは、その声に深い聞き覚えがあったからだ。
「イェーガー先生、」
振り返ると、そこにはグリシャが立っていた。
仕事を途中で抜けてきたのか彼は白衣を着たままで、どこか髪もボサついているように見えた。
「ご、ごめんなさい、扉が開いてて、あの、勝手に入って、ごめんなさい」
アリアはもつれる口でなんとか謝罪をする。
怒られる、と思った。
いつも穏やかな彼でも勝手に地下室に入ったと知れば、きっと怒り出すに違いない。
アリアは唇を噛み締め、俯いた。
「……扉を開けたまま出かけてしまった私の責任だよ。アリア、顔を上げて」
だが返ってきたのはどこまでも優しい声だった。
恐る恐るアリアは目線を上げた。
グリシャはアリアと背丈を合わせるために膝に手をつき、屈んでいた。
「君が謝る必要はない。好奇心というのはそう簡単には抑えられないものだからね」
「先生も、そんなことがあったんですか?」
アリアは持っていた鍵をグリシャに差し出しながら聞いた。
アリアにとってグリシャは正しい大人の象徴だった。
穏やかな性格も、こうしてむやみやたらに怒らないところも、医者という立派な仕事をしているところも。
全てがアリアには“正しい大人”に見えた。
アリアの問いかけに、グリシャは過去を思い出すように目を細めた。
「一度だけだよ」
渡された鍵を首にかけ、グリシャはアリアの背中に手を添えた。
「さぁ、そろそろ出よう。私も仕事に戻らないと」
「そういえば、どうして先生はここに戻ってきたんですか? 何か忘れ物?」
促されるままアリアは地下室の扉を跨いだ。
「いいや、ここの鍵を閉め忘れていたことに気づいてね。ここには危険な薬品なんかもあるから、何かがあってはいけないと慌てて戻ってきたんだ」
階段に足をかけてアリアはグリシャを振り返る。
カチャン、と小気味良い音がして扉の鍵が閉められた。
アリアはその音をなぜかよく覚えていた。