第5章 男が悪魔になることを望む女
「……上官にも、同じようなことを言われた」
ハンジの言葉が蘇る。
二人で麓の紅茶屋へ行った帰り道。長い坂を登っているときだ。
──人のために自分の心を殺して生きるのは、辛いことだと思う。
それがたとえ弟だとしても。大事な大事な家族だとしても。
──私は君が壊れていくのを見たくない。
自分の身を顧みない生き方はいずれその者を壊してしまう。
そんなこと知っていた。わかっていた。
「でも、わたしにはそれしかないの」
大切な仲間の死を乗り越えるためには。
死の恐怖に抗うには。
自分に言い聞かせるしかないのだ。
「わたしはアルミンに海を見せてあげる。そのためにわたしは調査兵団に入ったんだから」
言い聞かせるのだ。
これが最善だと。これが自分の望む未来への道なのだと。
アリアはエルヴィンにそう教わった。
「それが叶うのなら、わたしは壊れてもいい。……今は、そう思ってる」
祖父は黙っていた。
なにも言わず、ただじっと孫娘を見つめていた。
「アリア」
アリアの手に重なる手に力がこもった。
「お前がそう言うのなら止めはしないさ。わしにはお前の感じる悲しみも苦しみも半分も理解してやれないんだから」
祖父はアリアのことを生まれたときから見ていた。
アリアがどんな性格をしているのかも知っていた。
だからこそ、心配だった。
「でもな、アリア」
アリアは優しい。しかしその優しさには優先順位があった。
一番上はもちろん弟だ。それと同列に祖父が、家族がいて、その下に親しい人たちが続く。
「無理だけはするなよ」
だがその中に、その順位の中にアリア自身はいないのだ。
「うん。わかった」
それを本人は気づいていない。
「わしの願いはただ一つだ。お前が心から愛する人の隣で、幸せに笑うことだよ」
うん。
そう言った声が震えていたことを、祖父は気づかないふりをした。