第110章 黒鉄の魚影
パキッと盗聴器を指で潰した。もう機能していないが適当に捨ておくわけにはいかないのでポケットに突っ込んだ。そろそろ発令所に戻らないと。
志保に伝えた通り、エアタンクの近くにゴーグルを2つ置いておく。もう一度、無事に逃げ出せる事を願った。
発令所に向かって歩き出したところで、コツンと何かを蹴った。何かと思って床をスマホのライトで照らす。僅かに光を反射したものに手を伸ばし、それを掴んだ。
『口紅……誰のかしら』
キャップを外して中を見た。そこにあったのは淡いピンク色。
キールやベルモットの使う色では無い。私もこの色は使わない。この潜水艦に乗った女はそれ以外にはいない……それなら。
『ピンガ……のかしら。あ、あの時かも……』
さっきやり合った時に落としたのかもしれない。後で返さないと。
キャップを閉めてぐるりと手の中で口紅を回す。ブランド名と色の組み合わせになぜか既視感があった。
『まあ、いいか』
その口紅もポケットにしまい、今度こそ発令所に向かった。
私が発令所につくとほぼ同時に乗組員の1人がやってきた。
「ヘリが間もなく到着します」
「よし、潜水艦の艦橋を海から出して開けろ……ジンの兄貴と合流だ」
ウォッカがニヤリと笑った。
志保達は間に合うだろうか。ジンが乗り込んだ時点で発射管室に入ればギリギリ……魚雷発射管内を海水が満たすまで数分の時間が必要だ。万が一完全に逃げ出す前に気づかれてもその数分ならどうにかできるはずだ。
艦橋に続く鉄梯子のそばでジンを待つ。しばらくするとカン、カン……と鉄梯子をおりてくる音が聞こえてきた。
「お待ちしてやした」
鉄梯子を下りきったジンは口角を上げる。
「さぁ、お前がシェリーだというガキの面を拝ませてもらおうか」
ウォッカが先頭を歩き、2人のいる部屋へ向かっていく。その途中、急に手を掴まれて顔を上げた。ナイフで切れた傷口がピリッと痛む。
「……これは?」
『……ちょっと切ったの。大した事ないわ』
なんて事ないようにそっと手を振りほどく。ジンは一瞬顔をしかめたが、すぐに前を向いた。部屋はもう目の前だ。
ウォッカが部屋のドアを開けた。ベッドにはカーテンが閉められていて……床には2人の手足を縛っていた紐が落ちていた。
「何っ?!」
慌てた様子でウォッカとキールが部屋に入った。