第90章 過去との決別
『……何』
「貴女の名前。ファーストでも、マティーニでもない名前あるでしょ?」
教える必要はない。でも、教えてもいいかとも思う。ただ、道具として都合いいように作られたコレに、餞別くらいにはなるだろうか。
『黒羽亜夜よ。セカンドがくれた名前なの』
そう言うとロボットは少しだけ目を見開く。そして、ゆっくりととても悲しそうに微笑んだ。
「……素敵な名前。私には思いつかないや」
『……』
どうして、こんなに苦しいんだろう。目の前にいるのは偽物なのに、どうして涙が出そうになるんだろう。たぶん、目の前のロボットが思った以上に人間らしいからかもしれない。否定しても、どこか似ているのだ。外見だけじゃなくて、言動も。
ロボットは自身の左胸を指さした。
「狙うならここ。全部の回路が通ってるから、ここを壊せば私も止まる」
『……ええ』
ロボットの左胸に向けて拳銃を構える。震えないように、気持ちが揺らがないように空いた手を強く握り締める。
「貴女の事を考えてる時間、すごく楽しかった。ありがとう」
『……』
「元気でね、亜夜」
『っ……』
ロボットが目を伏せたのと同時に引き金を引いた。弾は左胸を貫通し、後ろの壁に着弾する。ロボットはゆっくりと倒れたのを見て近づいた。
ロボットだから当たり前なのだけど、血は流れてこない。でも、その表情は本当に人間みたいで、過去に看取れなかったセカンドを重ねてしまったようだ。
ポタリ、とロボット白い頬に涙が落ちた。いつの間にか涙は溢れていたようで慌てて拭うけど、後から後からどんどん落ちてくる。
「……ズラかるぞ」
ジンの声にどうにか足を進めるけどどうしても涙が止まらない。車に戻ってもずっと泣き続けた。
これでよかったはずなのに。これで、過去の私を深く知る者は消えたはずなのに。どこか、後悔のようなものが残っている。
車内にはエンジンの音と、私がすすり泣く声が響いている。泣き止まなきゃ、と思うほど気持ちが焦って泣き止めない。
「……ウォッカ、しばらく適当に走らせろ」
「了解しやした」
私の様子を気にかけてか、ジンの声でアジトに向かっていた車がルートを変えた。
気が済むまで泣いていいんだろうか……優しさがものすごく嬉しい。
涙を止めることはせず、泣き続けた。疲れて眠ってしまうまで。