第69章 残されたもの
『はぁ……ついた……』
もう東の空は暗くなってきている。もちろん徒歩だからというのもあるけど……ふらふらとベンチに座って靴を脱いだ。
『あー、やっぱり……』
靴擦れしてしまっている。途中から痛くて歩くペースが落ちたのも一因だろう。帰り……ここまでタクシー呼ぶ?こういう日に限って絆創膏とか持ってないし。まあ、後のことは後で考えよう。そう思って、缶コーヒーを1本開けた。
『……乾杯』
缶コーヒー同士をコツンと当てる。そして、ゆっくり口をつけた。
日暮れの景色も結構綺麗だ。空には星も輝き始めている。
生暖かい風が吹き抜けていった。結んでいた髪をほどいて、眼鏡も外した。
ただぼんやりしているだけ。アイリッシュのことで泣くことはきっともうない。もちろんアイリッシュのことは好きだったし、死んでしまったのは悲しいし悔しいけど、それでもちゃんと自分の中で整理がついている。ここからの景色を見て、それを確信したかった。
ぼーっと眺めていた空はいつの間にか真っ暗。スマホの電源は切ってるから正確な時間はわからないけど、たぶんそろそろ帰らないとまずい。
その時、一際強い風が吹いた。乱れる髪を抑えて、ふと鼻についた匂い。これは、タバコの煙?
背後で足音がして、ゆっくり振り返る。
「珍しいですね。ここに誰かがいるのは」
優しそうな男の声。タバコを消しながらこちらへ歩いてきて、ベンチの横に立った。
「邪魔してしまいましたか?」
『いえ……』
見たことのない男だった。眼鏡をかけて、糸目で人当たりの良さそうな顔。その割に体はガッシリしている。ていうか、この季節に長袖のタートルネックって……
「何か?」
『あ、すみません。なんでもないです』
さっさと帰ろう。残ったコーヒーを一気に流し込んで、靴を履き直して立ち上がろうとした。
「ここにはよくいらっしゃるんですか?」
『え……ええ、まあ』
急に声をかけられて上げかけた腰をおろした。
「私も最近見つけたんです。景色も綺麗だし、人気もなくて気に入ってたんですが」
『……じゃあ、お邪魔ですよね。もう帰るので』
「その足でですか?」
『え?』
「下に車はありませんでしたし、ここまで歩いてこられたのでしょう?数分待っていただければお送りしますが」
『……いえ、あの』
「取って食ったりしませんよ」