第68章 漆黒の追跡者
『ごめん、時間がないの。そこ退いて……キュラソー』
目の前のキュラソーに向けてそう言った。でも、彼女は動こうとしない。
『退いて』
「……どこに行くのか、答えてくれたらね」
埒が明かない。そう思ってキュラソーの横をすり抜けようとしたけど、すぐに立ち塞がれた。
『っ……退いてってば!アイリッシュの所に行くの!』
「そう」
『もういいでしょ、そこ退いて』
「……悪いけど、行き先が彼の元なら通せないわ」
『は……?』
「手荒なことはしたくない。このまま部屋に戻って大人しくしてて」
『なんでよ……誰かの指示?!』
「……今は答えられないわ」
『退いて!』
「マティーニ、お願い」
思いきり睨みつけても、キュラソーは動こうとしない。
『退いてくれないなら、力ずくで通る』
「……残念」
悲しそうな表情を浮かべたキュラソーに全力で殴りかかった。
『っ……』
どれだけ拳を突き出しても足を蹴り上げても、全て躱されて受け流されて、尚且つ隙が全くない。私はライフルを背負っているせいで動きづらいし、狭い通路のせいで力が乗せきれない。
―直さねえと狭いところでやり合う時困るぞ。
アイリッシュの言葉が脳内に響いた。こんな形で痛感することになるなんて。
時間が経つほどに動きが単調になっていく自覚はあった。最悪のことを想像してどんどん気持ちが焦る。必死な私に対して、キュラソーが余裕であるのも気に食わない。
「もう手遅れよ」
『まだわからないでしょ……!』
必死に攻撃を繰り出していると……やっと、隙が。迷いなくそこへ飛び込んで、右の拳を突き出し……しかし、右手首をキュラソーが掴んだ。そのまま強く引かれる。そこではっとした……これはわざと作られた隙であると。
「……ごめんなさい」
体勢を立て直すこともできないまま、鳩尾に重い一撃が入れられた。
『かっ、は……っ』
息が止まりかけて、同時に意識が大きく揺れる。足の力が抜けて、崩れるようにしてキュラソーにもたれかかった。
「彼の頼みなの……彼がそう望んだのよ」
そんな声が聞こえた。彼……って誰?落ちかけている思考はまともに動かない。
アイリッシュ……死んじゃ、やだ……約束したのに……私が助けなきゃ……。
最後に見たアイリッシュの顔が脳裏に浮かんで、その直後意識がプツンと切れた。