第68章 漆黒の追跡者
『っ……』
アイリッシュを怖いと思ったのは初めてかもしれない。浮かべられた笑みは部屋の暗さも相まってゾッとするほどだし、無意識に足を引いてしまうほどまとう雰囲気も氷のように冷たい。
『……何をする気』
「コイツはジンを失脚させるいい証人になる。生かしたままあの方の元へ連れて行く」
『そんな……なんで……』
「ピスコの借りを返すのにこれ以上の機会はない……次があったとしても、それまで待つつもりはない」
『……本気、なの?』
「冗談で言うと思うか」
いろんな言葉が頭の中をぐるぐると回るけど、口からは何の言葉も出てこない。指先が冷たくなっていくような、そんな感覚に包まれる。
アイリッシュのこの企みが上手くいってしまえばジンの地位は少なからず落ちるだろうし、あの少年も殺されなかったとしてもモルモットにされるのがオチだ。
俯いて自分の足先を見ながら呟いた。
『駄目……そんなの……』
「あ?」
『えっと……あ、ベルモットが、怒ると思う……』
不意にベルモットのことを思い出して、思考が定まらないままにそう言った。
「なんであの女が出てくる」
『り、理由はよく知らないけど……その子のこと気に入ってるみたいで、だからその……バレたら……』
「お前が言わなきゃバレねえよ」
言わなきゃバレない……その言葉が引っかかった。少し考えて、1つの疑問が浮かんだ。
『……バレたくないのに、わざわざ私に教えた理由って何?』
「さあ……なんだろうな」
さっきまでの冷たい雰囲気が消えた。それだけじゃなくて、声色も少し変わった。
「軽蔑でも何でもすればいい……嫌われようが俺の意思は変わらねえからな」
『……そっか』
止めたい気持ちはもちろんある。ジンの立場も守りたいし、あの少年を傷つけることもしたくない。でも、アイリッシュの気持ちが理解できないわけでもない。
『……そろそろ帰る』
顔を上げながらそう言った。アイリッシュの顔を見ても視線は合わさらないけど。
『今聞いたことは誰にも言わないから。邪魔もしない。安心して』
「……ああ」
どうにか出した答えがそれだった。私がしていいのは、ただ見守ることだと思ったから。
それに、ジンとアイリッシュのどちらか1人を選ぶことはできない。2人とも大切な人だから。ベルモットには悪いけど、切り捨てるならあの少年だ。