第56章 赤の気配
赤井秀一……先程話題に上がった人物が今、目の前にいる。やっぱり変装してきてよかった。この顔では会ったことがないはずだ。
視線だけを動かして相手の全身を見た。
真っ黒な服装。ニット帽も相変わらず。グリーンの瞳と目の下のクマ。組織にいた頃とほとんど変わりない……バッサリ切られた髪以外は。
「どこか痛めたか?」
手を取ろうとしない私を疑問に思ったのかそう聞かれた。
『あ……別に、大丈夫です……』
差し出された手は取らずに立ち上がった。先程から何度かスマホが震えている。たぶんバーボンが連絡してきているのだ。変に思ってここに来られたらまずい。
『あの……すみませんでした』
軽く頭を下げて踵を返そうとした。
「君……どこかで会ったことがないか?」
振り返ると少しばかり目を細めた赤井と目が合う。ギシギシと音がなるんじゃないかというほどに、動きが鈍い首をどうにか傾けた。
そんなわけがない。絶対にこの顔でこの男には会ったことがない。
『え、っと……それってナンパ、ですか?』
「は?」
赤井は一瞬で間の抜けた顔になる。仕方ないじゃないか。この場を切り抜けるために絞り出せた言葉がこれだったんだから。
『あ……それならすみません、間に合ってるので……』
「……いや、気にするな。引き止めて悪かった。もう余所見しながら歩くなよ」
『あ、はい。それじゃ……』
今度こそその場から立ち去った。いくらか進んだところでスマホを取り出す。やっぱり連絡はバーボンだ。電話番号をプッシュして振り返りながらスマホを耳に当てる。
「もしもし、今……」
『ごめん、今どこ?』
「今駐車場についたところですよ。あの、何かあったんですか」
『どの辺か教えて。貴方はそこにいて。私が行ったらすぐ出られるようにして』
「えっ……あ、わかりました」
矢継ぎ早に指示を出し、電話を切って、あえて遠回りをしながら駐車場に向かう。途中、尾行されてないか何度も確認しながら。
駐車場に着いてすぐ、いつもの白い車が目に止まった。少し駆け足で近づき助手席に乗り込む。すぐに動き出した車にやっと一息ついた。
「……何があったんですか?」
バーボンがそう聞いてくる。私の言動からして疑問に思うのは当たり前だが、話してもいいものだろうか。
『……帰る時に教えてあげるわ』