第55章 捨て切れない名前
懐かしい声で私を呼んで、そっと手を差し出してくる。
外見だけじゃなくて、声までよく似ている。抑揚だったり少しの違和感はあるけど、ほとんど気にならないレベルだ。
『あ、貴女は違う……セカンドは、死んだの……』
「確かにそう。でも、またこうして会えたでしょう?だから、ね……?」
愛銃に触れていた手を優しく取られる。人の体温のような温かさを感じた。
「だから教えて欲しい。貴女の知る"私"を。貴女が私を本物にして?そうしたら、ずっと一緒にいられるよ」
冷静な自分と、今この状況に流されそうな自分。彼女は違う、セカンドじゃない。そう冷静な思考の中に、その手に縋ってもいいかという考えもある。
上の企みに気づかないまま死なせてしまった彼女との、もしかしたらあったかもしれない未来を……。
「……盛り上がっていただいているところ悪いんですが、そういった話は我々の上を通していただかないと」
苛立ちを含んだ声と、強く抱き寄せられた腰。そのせいで触れていた手は簡単に離れていく。そして耳元で囁かれた。
「あれは、貴女の知る誰かではありませんよ……マティーニ?」
『……っ』
今まで、私は一体何をしていたんだろう……揺れていた気持ちは一瞬で消えた。どれだけ似ていたって、違う。来なかった未来は手に入らない。何をしてもあれは本物にはならない。
「過去の傷に漬け込んだところで、あっさりとこの人がそちらに寝返るわけがないでしょう」
いつもの優しさを含んだ声とは全く違う。でも、その声に安心している。
「それに、僕は割と下の方の立場なので。この人を置いて自分一人で帰るなんてことできないんです」
「……幹部でもない奴が偉そうに」
「おや、僕のことご存知ありませんか」
「知るわけがないだろう」
「僕もまだまだですね。それなりに名は知られた方だと思っていたんですが……まあ、今日は招待していただいたわけですし、今回のことは上には黙っていますが」
スっと背中が凍りそうなほどの殺気。護衛の男達の顔も険しくなっている。
「あまり我々の組織を甘く見ない方がいい。次はありませんから……それでは失礼します」
軽く頭を下げて、バーボンは歩き出した。私の腰を抱いて急に動いたから足がもつれそうになる。会場を出てしばらくしても、手は退けられず、車に戻るまでずっと無言だった。