第43章 純粋な優しさ
バーボンside―
彼女から連絡が来ることを全く考えていなかったわけではない。だからといって、組織の人間からのプライベートの呼び出しにすぐ応じられる状況でもなかった。
……にしても、思っていたよりひどい様子だ。
マティーニが使ったであろうシャンプーの香りが残るバスルーム。体を流しながら彼女の様子を思い返す。
今回の件で自殺……に見せかけて組織に始末された宮野明美。彼女とは幼少の頃に面識がある。組織に潜入してからも町中で何度か見かけたが、きっと気づかれてはいないはずだ。
宮野明美とマティーニの仲がいいことは聞いていたが、まさかここまでとは。あの目の腫れ方……そうとうな泣き方をしたようだ。
今回のことに関しては彼女が話すまでは聞かないでおこう。そもそも、僕と宮野明美が知り合いであったことを知られるのはまずい。
さっと体のを流し終えてバスルームを出る。濡れた髪ごと頭を覆っていたタオルを肩にかけ直し、顔をあげた。
その時、目に飛び込んできた光景。シンクの前に立っているマティーニ。そして、右手に持たれている……何が起きているかを理解するより先に体が動いた。
マティーニが右手に持っていた包丁を奪い取り、届かない場所へ投げた。それが押し当てられていた左の手首には薄らと赤い筋が入っている。
「何のつもりですかっ……?!」
『っ……』
彼女の両腕を掴んで叫ぶように聞いた。その両目には溢れんばかりの涙が溜まっていて、ゆっくりと閉じられた瞼とともにそれが零れる。
「……死にたいんですか」
『……』
返事はなかったが、マティーニは小さく首を振った。
「じゃあどうして」
『……』
また首を振る。思わず小さくため息をついた。
「……何か飲みますか」
『……なんでもいい』
震える声で返事があった。ミルクティー……ホットミルクの方がいいだろうか。
「用意するので部屋で……いや、ここにいてください。少し寒いかもしれないですけど」
また1人にしたら何をするかわからない。本人にその気がないとしても、また自分を傷つけるような真似をして欲しくない。だから、自分の目の届くところにいてもらうことにした。
牛乳を温めて、はちみつを入れる。それを2つのカップに分けて注いだ。
「……それじゃ部屋に行きましょうか」
彼女は零れた涙を服の袖で拭いながらまた小さく頷いた。
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