第36章 諦めませんから
そう言われてしまえば引かれる手に従うほかない。ここまでしておいて大したことない意味だったら怒る。
車に戻って助手席に座る。荷物をトランクに乗せたバーボンが運転席に座ったことを確認して……
『ほら、もういいで……』
「口紅、ぬらせてください」
『まだ焦らすつもり?』
そう聞いても微笑んだまま手をそっと差し出してくる。わざと大きめのため息をついて、先程買ってもらった口紅を箱から出して渡した。
「……こっち向いてください」
顔を向ければすっ……と指先で顎を持ち上げられて、バーボンの顔が近くなる。至近距離で目が合って、どうにか視線だけを逸らした。
「じっとしていてくださいね」
唇の端に口紅の先端が置かれ、横へゆっくりと滑り出していく。普段やり慣れてることなのに、何故か背筋に緊張がはしる。
「できましたよ……すごく綺麗です」
『……そう』
この状況から逃れようにも、バーボンが半ば覆い被さるような体勢だから私がどれだけ動いても、何度逸らしても合わさる視線や感じる体温は変わらない。それどころかどんどん近くなってる気が……。
「口紅をプレゼントに選ぶ意味、知りたいんですよね?」
『やっぱりいい……だからどいて』
「口紅には……」
いいって言ったのに……心臓の音がうるさい。でも、それは私だけじゃないみたい。
「……貴女にキスしたい」
『え……?』
「そういう意味があるんですよ」
バーボンを押し返そうとした時には既に遅く……そっと唇が重なっていた。
決して深くはない。触れるだけ、でもそこに乗せられる感情は多くのものを含んでいるようだった。数秒だったのか、数分そのままだったのか……唇はゆっくりと離れていく。
「……昨日、拒否されたのはショックでしたよ」
『それは……その……』
「もう僕は必要ないですか?」
『そんなことない……と思う……』
相談できる相手も愚痴を零せる相手もちゃんといる。でも、バーボンはその人達とはまた別というか……バーボンじゃないと困る、そういう時が何度かあった。
「今まで通り利用してくれるのは構いません。でも……」
『でも?』
「キスは許してくれませんか?それ以上のことは望まれない限りしません」
『……バーボンはそれでいいの?』
「もちろん許されるなら何度だって抱きたいです。でも自分の命も惜しいですから」