第30章 不安
『っ……はぁ、はぁ……』
息が上手くできない……心臓がドクンドクンと跳ねて、変な汗が吹き出て、涙が細く流れていく。
悪いのは私だ、勝手に好きになって苦しんでるだけ……なのに。ジンとシェリーは悪くないのに。
もうここには居たくない。震える足をなんとか動かして、気配を殺しながらクローゼットを開ける。大きめのバッグに必要最低限の衣服とメイク道具を詰め込んで、足早に部屋を出た。
「っと……マティーニ?どうしたんですかい?」
廊下を歩いていると反対側からウォッカが歩いてきた。こんな様子じゃ心配されるのも当たり前だけど、何も言うことはできなくて。
『ごめん、しばらくホテルに泊まる。任務の連絡はメールでお願い、それじゃ』
「えっ、あ……」
何か言いたげなウォッカの横をすり抜けて駐車場へ向かう。自分の車のドアに手をかけたところで考えた。
この車で移動していたらすぐに見つかる。別に鬼ごっこがしたいとかじゃないけど、しばらく……少なくとも自分が落ち着くまではジンに会いたくない。なら、徒歩だな。歩いて駐車場の出口に向かった。外はすっかり暗くなっている。
『うわ、最悪』
雨が降っている。でも、傘を取りに行く気にもならない。手近なホテルに入ろうと歩き出したのだが。
どんどん雨足が強くなって、すぐにびしょ濡れになる。ひとまずどこかで雨宿り……と辺りを見回して気づいた。ここ、いつもバーボンと待ち合わせするところだ。向かっているつもりはなかったのに、無意識にここへ足が向いていたのか。
屋根の下に入り空を見上げる。雨はしばらく止みそうにない。夜も遅い時間になってきて、風も出てきた。濡れた体から熱が失われていく。それをどうにか止めようとしゃがみこみ、膝に顔を埋めた。
どのくらい時間が経ったかわからない。ただ、指先の感覚がなくなりつつある。風によって吹き込んできた雨のせいで服はさらに濡れた。きっと持ってきたバッグの中も濡れてるだろう。
これからどうしよう……なんてぼんやり考えていると、足音が近づいてくる。誰かを確認する気にもならなくて、顔は上げなかった。
「……何してるんです、こんな所で」
その声に顔をゆっくり上げる。
『バーボン……?なんで……』
「全く、困った人ですね」
そう言って私の背中に上着をかけてくれる。彼の格好は、普段見ることのないスーツ姿だった。