第5章 あの時…
「その時の…、俺の怒った顔を覚えているか?」
「……っ!」
言われてようやく気が付いた。
覚えているわけがない。
俺は…
見ていないのだ。
何故ならその場にいなかったからだ。
本来ならば俺がやらなければならなかった事を、錆兎が代わってやってくれた。
錆兎に甘えていたのだ。
「俺は…、自分がやるべき事を他人に押し付けて、それで事を済まそうとしていた。本当に申し訳なく思う」
「……」
伊黒は黙って俺の話を聞いている。
どんな気持ちなのだろうか。
今からでも、あの時の事を許してくれるだろうか…
「あの時俺が言った言葉は、お前達が捉えた意味ではない。あの輪の中に、俺がいてもいいのか分からなかった。俺はお前達よりも劣っているから。だが、ああいう言い方は良くなかったと思う。本当は、あの時言うべきだった。…すまなかった」
俺は伊黒に頭を下げた。
遠巻きに俺達を見る視線を感じるが、今は何だって構わない。
俺は伊黒に集中した。
暫く黙ったままだった伊黒が、やがてフッと可笑しそうに笑う気配がして、頭を上げると…
「やっとだな冨岡。待ちくたびれたぞ」
伊黒は、久々に見る笑顔だった。
あの伊黒が…笑っている…!
あまりにも衝撃的過ぎて、俺が絶句していると、
「ん?…あぁ、顔を崩し過ぎたな」
そう言ってまたいつものキッとした顔に戻ってしまった。
そんな無表情にならないでくれ。
俺じゃないのだから。
「さっきの顔の方が良かった」
「馬鹿も休み休み言え」
怒られた。
「…あの時お前がいなかったから、俺は正直ガッカリした。お前が口下手なのはよく知っているし、錆兎から話を聞いてお前の気持ちは分かったが、…許す気にはなれなかった。俺は錆兎ではなく、お前の口から直接話して欲しかっただけだ」
やっと聞けた伊黒の本音。
胸につかえていたものがスッと取れた様な、そんな感覚に俺は嬉しく思った。
「今思えばだが、そこまで怒るほどの事でもなかったな。つまらない意地を張ってしまった。…長い間悪かったな、冨岡」
…涙腺が緩みそうだ。
泣きそうになるのを堪えながら俺は伊黒を見据える。
そこにはもう攻撃的な刺々しさは何もなく、あの頃の穏やかな伊黒に戻ったようだった。