第60章 主と酒と
「…いや、そう単純なことでもないと思うぞ。」
幾分か沈んだ声がかかり、その方を向くと、鶴丸が硬い表情で手に持った酒をじっと見ていた。
「レンに合意を得ないまま話すのは心苦しいが…。」
そう前置きして、ちらりと寝ているレンを見る。
心苦しいとはどういうことだろう…。
「そもそもレンがここに来たのは、半分は偶然なんだろうが、もう半分は自身を殺そうとする輩から逃げてきたからだ。」
僕は息を飲んだ。
そんな話、初めて聞いた。
「それに向こうでは追われる身だったそうだ。」
追われる身って…、そんな…。
「何故…。何故追われていたのですか?」
太郎さんが、強ばった声音で鶴丸に問う。
「里から勝手に抜け出したから、と聞いている。忍には里を抜けてはならないという掟があるそうだ。
だが、レンは間違ったことをしたとは思わない。兄弟で殺し合いをさせるような者達なぞ、見限って当然だと俺は思う。」
「兄弟で、って…。」
「そんなこと…。」
僕等は絶句した。
大切な人との殺し合いなんて、想像を絶する苦しみだろう。
「今もきっと、傷となってレンの中に残っている筈だ。レンがこうも淡々としているのはそのせいだと俺達は思っている。」
そうか。
そんな壮絶な経験をしてしまえば、感覚もどこか麻痺してしまうものかもしれない。
「…あんた達古参はそれを知っているから…、だから、主と親密なのかい?」
少し棘を含んだ物言いだった。
けれど、僕にはそれを諌めようという気持ちが浮かばなかった。
次郎さんの言葉は、僕の中にも少なからず燻っていた溝だ。
主は最初からこの本丸に審神者として立ったわけではないことは知っている。何やら政府と対立していて、共闘したことも少しは聞いている。
だから、そのせいだと僕はずっと思っていた。