第41章 歳の差のせいにだけはすんなよ
彼女は、笑っていた。
人は、自分が危機的状況に陥っているということを、簡単には認めない。それは、パニックに陥らないように 人に備わっている本能だ。
彼女もまさに、自分は危なく無いと思い込もうとしているのだろう。生命維持が危機に直面したことへの否定。だからこその、笑い。
『両手を上げて。自分の体を大きく見せて、このまま目を合わせたままで ゆっくり後退』
「は、はい…っ」
だが、不思議なことに私の方は意外な程落ち着いていた。笑いたくもならないし、ましてパニックに陥る気配もない。
まさか私の脳は、この状況をピンチと捉えていないのか?
そういえば、目の前にいる熊からは それほど脅威を感じない。熊なのに、だ。もっと、途方も無い威圧感がのしかかってくると思っていた。
襲って来ないのだ。絶対に抗うことの出来ない 恐怖や重圧が。
これなら、さっきの怒った天の方が怖い。
なんて考えていたら、私の甘い思考が熊に伝わってしまったのだろうか?仁王立ちでこちらを見ていた熊は、その身をかがめて臨戦体制に入った。
『っ、』
「〜〜〜っ」
大抵の熊は、こちらが目を合わせたまま後退すれば 引き下がってくれる。そう聞いていたのに。
やはり、テレビで得た知識と実践は違うという事か。
こうなっては仕方ない。スピードや力で、こちらが敵うはずがないのだ。熊が本気で飛びかかって来る前に、逃げるしかない。
私は、紡の腕を引いて、隣の森へと飛び込んだ。
彼女をしっかりと胸の中に抱いて、頭を守る。
鬱蒼とした草木が生い茂る下り坂。私達は転がり落ちるようにして、森を下っていく。
やがて、ゴロゴロと転がっていた勢いが止まる。ゆっくりと彼女の体を解放した。
『大丈夫ですか?』
「は、はい…私は、なんとか」
『熊は下り坂には弱いので、ここまで追って来る事はないと思います』
目を回した紡は、こくこくと頷いた。