第35章 いつのまにか、その種は芽吹いてた
「エリさん、ちょうど良かった。もうすぐ出来るって声かけに行くところだったんですよ」
水を貰うために厨房へ近付いた私に、楽はにこやかに言った。
新しい気持ちで、彼を見つめてみる。
とりあえず、変装という物を舐めているとしか思えない。ただ服を蕎麦屋の物にして、敬語を使うだけという安直さ。
そんな事くらいで、この男前オーラが隠せるはずなど ないのに…。あれ、楽はこんなにも格好良かっただろうか。この顔面偏差値1000の顔など、普段から見慣れているはずなのに。
どうしてだろう。いつもの倍、イケメンに見えるような!
「大丈夫ですか?なんか、顔が赤いような気が」
『だ、大丈夫です!大丈夫です!!あ、これもう運んじゃっていいですか?わぁ美味しそう!私お腹ぺこぺこで!』
「??
あ、ありがとうございます…」
私は、2人の待つテーブルへと帰る。そして、手に持った丼を置く。
それを見た環からは、歓喜の声が上がる。
「ちょー美味そう!!たまごもちゃんと入ってんじゃん!さすが蕎麦屋さーん!」
『あはは…良かったね』
「ん?エリ。環のグラスは?」
『あ』
グラスを厨房のカウンターに置いて来てしまったようだ。
置き忘れた理由が、楽の顔に見惚れてしまったから、なんて。口が裂けても言えない。
とにかく、今さら楽の前でドギマギソワソワするなんて、ありえないだろう。一体どうしてこうなった?
マインドコントロールは、私の得意とするところ。そう。こんなのはただの気の迷いなのだ。要はさっさと自分の乱れた精神を整えれば良い。
「お待たせしました。きつね蕎麦です」
『この人は顔だけ男 この人は顔だけ男 この人は顔だけ男』ぶつぶつ
「この短時間で俺、何か嫌われるような事しました!?」でも顔を褒められてて嬉しい!