第29章 《閑話》とあるアイドルプロデューサーの休日
『その口紅、良い色ですね』
「っ、」
ヒュっと、自分が息を吸う音が聞こえた。心臓が、ひっくり返るかと思った。
“ 彼 ” が、現れたと思ったから。
しかし、それはどうやら私の勘違いだったようだ。
『その色、とても貴女に似合ってる』
「あはは、ありがとうございます。人から勧めてもらった色なんですよ。
私も、凄く気に入っているんです」
声を掛けて来てくれた女性は、私がそう言うと嬉しそうに笑った。
彼女は、どことなく彼に似た雰囲気を纏っていた。
身長も髪色も、性別さえも違うというのに、そう感じてしまった私は末期なのだろう。
しかし、声や顔付きなんかが、やはりほんの少しだけ彼を彷彿とさせるのだ。
『良かったら、少しお話ししませんか?もし、お邪魔じゃなければ、ですけど』
「私でよければ、喜んで。ちょうど1人だったので」
どうして すぐにオーケーしてしまったのかは、自分でもよく分からない。
彼を探す為にクラブに足を運んでいるというのに、何故か 彼女ともう少し一緒に居たいと思ったのだった。
『せっかくクラブに来ているのに、踊らないんですか?』
「ええ、私は人探しでここに来ているだけなんです。
貴女は、どうしてクラブに来ているんですか?」
彼女も、ダンスフロアに出て行く様子はない。ステージに目をやって、すぐに答えてくれる。
『勉強になるんですよね。あ、私は音楽業界で働いてて。
馴染みのない音楽に触れれば刺激になるし、通う人達のファッションも流行の最先端で 目を惹く物が多い。
それにこのクラブは、演出力が素晴らしくて』
嬉々として話す彼女を見ていると、心の底から音楽を思っている事が感じ取れた。
「へぇ、勉強の為ですか…。ここに通うにも、色々な事情があるんですね」
彼女がここに来る理由を聞きながらも、やはり私は 彼の事が気になった。
彼は…一体どんな理由で、この場所に赴いていたのだろうか。