第29章 《閑話》とあるアイドルプロデューサーの休日
『ちょっと…、不躾ですよ。
彼女ではなく、今日知り合ったところです』
「……」ほ
『何ホッとしてるんですか』
「いや待てよ、ってことはナンパか!へぇ、意外とやるな」
『いや違……わなくも、ないかもしれませんね』
「えぇっ!?そうだったんですか!?」
「ふぅん…」
マスクに帽子と、かなり怪しいその男性は、まじまじと私を見下ろした。
きっと、私じゃ釣り合わないとか思われているのだろう。勝手にそう決めつけていたものたがら、飛び出した言葉に驚いた。
「良い趣味してんな」
『でしょう?』
まさかの私を褒める言葉と、それに対して嬉しそうにする彼。
私は、彼の隣に立っていても良いくらいに変われたのだろうか。そう思うと、自然と涙が出そうになるくらい嬉しかった。
「え、ちょっとあれ!烏龍王子と一緒にいるのって…」
「八乙女楽じゃない!?」
「やば!ほんとだ!TRIGGERの楽だ!」
「きゃーーっ!本物の楽様っ」
「……」やば
『こんなところに来れば、それはそうなりますよ』はぁ
「うるせぇな、溜息やめろよ」
そうだ。彼は八乙女楽だ。確信が持てた事で、やっと胸のつかえが取れた。
しかし、すっきりしている場合ではなかった。彼に気付いた人々が、一気に波となってこちらへ押し寄せたのだ。
『すぐここを出ますよ。このままじゃクラブに迷惑がかかります』
「分かった」
「っあ、待っ」
彼は、楽を人混みから守るようにして、どんどん私から遠ざかっていく。
手を伸ばしても、それは何も掴めない。
迫り来る人混みに、私はどんどん押し戻されてしまう。
「待って!私、私まだ、貴方に御礼も言えてない!伝えたい言葉も、ちゃんと言えてないのに!!」
叫んでみても、彼と私の距離は開く一方。
しかし…人波の向こうで、1度だけ彼がこちらを振り向いた。私は、懸命に目を凝らす。
“ さようなら ”
唇は、確かにそう紡いでいた。
そして、ついに彼は私の前から姿を消した。