第118章 Another Story
————
『ひっひっふー。ひっひっふー』
「出産?」
『気持ちを落ち着ける呼吸ですよ』
いざ邸宅を前にすると、体全部が心臓になってしまったかのようにばくばくと暴れ出す。
「…また改める?」
『いえ。大丈夫。私は今日、九条さんに天との交際を認めてもらいます。ひっひっふー。ひっひっ』
「入るなら早く入ってくれないだろうか」
『ひっっ!!』
「外で出産を果たそうとしている男が出ると、私の家が御近所で噂になってしまう」
一体いつから見ていたのか、九条が玄関から顔を覗かせて嘆いた。私はというと、本来息を吐くところを吸ってしまい呼吸困難に陥りかけた。
「平気?人工呼吸は必要?」
『ないです』
「そう。じゃあ、中へどうぞ」
天は隣にずっと寄り添って、なおかつ冷静でいてくれるから。なんとか私も正気を見失わずに済んでいた。
彼が笑って、そして味方でいてくれたなら、私はいつだって無敵になれるのだ。
『お、お洒落で綺麗で、お洒落で…!なんと言いますか、芸能人の家みたいですね!』
「芸能人の家だからね」
九条が冷ややかな瞳を私に向け言い放った。天は、顔の下半分を手で覆って笑いを噛み殺している。
…うん。天が笑ってくれるならば、私は無敵とは言ったが…。これは些か辛いものがある。
いくら沈黙が怖いからと、喋り過ぎは控えよう。
私は手土産のドーナツを手渡すと、ボロを出さないようひとまずは口を噤んだ。すると、九条がお茶を用意してくれる。
どうぞ。と私の目前へ置かれたそれは…
珈琲でも、紅茶でもない、水であった。
『……っ、』
(こ、氷も入っていない!そしてカルキ臭い!これは…紛う事なき水道水!)
嫌われている。私はもう取り返しのつかないくらい嫌われている!