第116章 心、重ねて
そして、本番前日。もうとっくに陽が落ちた頃合い。私は1人、会場へと足を運んでいた。
最前列の客席から、ステージを眺める。ステージの上では、今まさに急ピッチでセットが組み上げられている。へルメットを被った技術士達の手で、見る見るうちに夢の舞台が姿を現す光景は圧巻だった。深夜には、完全に組み上がる予定だ。
大物セットの配置が完了し、大勢いたスタッフの数はかなり減った。今ならば、ステージに上がっても邪魔にならないだろう。
私は客席から離れ、あそこに立つ為に裏へと回った。
コツ、コツとゆっくり靴音を鳴らす。
正直、私があの場所に上がっても良いのかという葛藤はあった。あそこは ほんの一握りの、本物のアイドルだけが立つことが出来る場所だから。血の滲む研鑽を重ね、もしかしたら大切な何かを投げ打ったかもしれない。そんな人間だけに許された聖域。
だとしても。私は、立ってみたかった。
そこからの景色を、見てみたかった。
埋め尽くす観客がいなくたって、背中を押してくれる声援がなくたって、一度でいいから この目で…
『 ——— っ 』
実際に両脚で立ってみて、沢山の客席を視界に入れた途端。ぐわっと、見えない力に身体を押された気がした。
思ってもみなかった感覚に襲われて踏ん張りが効かず、私は思わず片脚を引く。
すると、背中に とんと何かが優しく触れた。
「平気?」
驚き振り向くと、そこには小首を傾げた天がいた。私を支えてくれた彼の手は、温かかった。