第116章 心、重ねて
準備は実に順調に、着々と進んでいた。いよいよ、ライブの開催まで残すところ48時間を切ったある夜。私はようやく帰宅した。
「お疲れ。えらく遅いお帰りだな」
とうに就寝していると思っていた楽が、眉を顰めて言った。私は遅れてただいまと言ってから、鞄を下ろす。
『うん、佳境も佳境だからね。ただいま』
「おう、おかえり」
私はリビングの椅子に着くこともせず、風呂場へと直行する。いま入っておかなければ、確実に寝落ちすることが分かっているからだ。
手早く済ませ、戻ってくるとそこにまだ彼はいた。
『待ってなくていいのに。楽も疲れてるんだから、早く休んで?』
「寂しいこと言うなって。少しくらい、いいだろ?」
彼の手が、指が、まだほんのりと湯気を立てる頬を撫ぜた。思わずうっとりと目を閉じそうになったが、はっと自分を強く持つ。
『な、流されない!』
「なんだよ…。流されろよ」
まるで猫が体を擦り寄せてくるみたいに、楽は全身を使って私を誘う。猫にしては随分と大きいが、それでも私にとって愛おしさは猫以上だ。
『まだ、仕事が残ってる』
「帰って来たのも3日ぶりだろ。少しは休めって」
『休ませてくれるつもり、あるの?』
「………あ、当たり前だろ。疲れてるあんたを、無理させるわけにはいかねえからな」
『ふふ。面白いくらい間があったね』
楽は、不服そうに私から距離をとった。どうやら、当初の目的を諦めたらしい。
「エリに触るのは、ライブが終わるまでお預けだな」
ふっと息を吐くように笑い、早く休めよと言い残し寝室に向かおうとする楽。
私はそんな彼の手を、遠慮気味に引いた。