第98章 気付かないふりをするのがマナーでは?
【side 棗巳波】
彼女の顔に、書いてある。大丈夫か?落ち込んでいないか?1人で思い悩んでいないか?と。
だがどうしても、こちらへの一線を越えられないでいるのだろう。それは、私が踏み込むなという見えない壁を作っているから。だから、はっきりと問うことが出来ないのだ。
彼女が触れたくても触れらないもの。それは
桜 春樹の死について。
「…とりあえず、いつまでも玄関先に立たせておくのもどうかと思いますし、お茶の一杯でも淹れますので中へどうぞ」
『え、いいの?』
「私は、そのくらいの良識は持ち合わせていますので」
『ぐ…っ』
テーブルを挟み、向かい合わせに座る。私は頬杖をついて、カップに口を付ける彼女を観察していた。
ようやく見慣れてきた、春人とはまるで違う 彼女の本来の姿。こうして見ると、同一人物だとは信じられない。見事な化けっぷりである。
『ごめんね。2日も会社を休んじゃって。私がいない間、何か問題は』
「特には。貴女の不在で不都合が出るほど、私の中で貴女の存在は大きくないですから」
『ぐっ…!』
「…了さんに、本当のことを話しました」
『本当のこと?』
「全部言わないと分かりませんか?私が、自分の意思でノースメイアに行ったことですよ」
『えぇ!?言っちゃったの?私に騙されて、違う飛行機に乗せられたんだって嘘吐いておけば良かったのに』
たしかに、当初はそのように申告する予定だった。しかし、自分の中で何かが変わったのだ。
彼女が、私をノースメイアに送った責任を1人で取らされてると知って。了に、ボロボロに追い詰められている彼女の姿を見て。
そんなふうに他人に感化される余白が、まだ自分の中に残されていたことを、私は今回 思い知らされたのだ。