第98章 気付かないふりをするのがマナーでは?
私は、空になったカップをソーサーに置いて告げる。
『じゃあ、行ってきます』
「こんな時間に!?ど、どこに行くの?」
『さっき出来たばかりのこの曲を、どうしても聴かせたい人がいるんだ』
「それって…もしかして、楽?」
予想外の人物の名前に、私は度肝を抜かれる。心臓がビクンと跳ねたがそれは、図星だったからではない。龍之介の口から、彼の名前が出たからだ。
『な、なんで、そこで…楽の名前が出てくるの?違うよ。
っていうかそもそも、この格好で楽のところ行くわけないでしょ?』
「そっか…ごめん」
ほっとしたような表情の龍之介。私が、彼を不安にさせてしまったのだろうか…。罪悪感が募る。
「でも、こんな時間に出掛けるなんて。今晩は、家でゆっくりしない?」
まぁ常識的に考えて、普通はそうなるだろう。しかし私は、もう立ち上がっていた。また彼の言うことに従わないことが気不味くて、私はふいっと横へ視線を逃す。
すると、あるブツが視界に飛び込んで来た。黒く縦長のそれは、その名も凄十。
私は、それを指差して恐る恐る問う。
『え…っと、あー…もしかして龍、やる気満々、だったりした?だとしたら、なんか…ごめんね』
「え?
………いっ、いやいやいや!!あ、あれは!あれは俺じゃなくてエリのだろ!エリが持って帰って来たんだ!!」
『あはは。嘘だぁ。私、あぁいうの飲まないもん。元気の前借りだから』
「前借りしてでも元気が欲しかったんじゃないかなあ!?」
『恥ずかしがらなくてもいいのに。でもあんなの飲まなくたって、龍は全然 元気』
「うぅ…もう嫌だあ…本当なのに!」
真っ赤っかにした顔を、龍之介は両手で覆い隠して嘆いていた。