第98章 気付かないふりをするのがマナーでは?
そして。春樹の訃報から2日が経過していた。
「ねぇ。全ての生物の中で、唯一 人間だけが知っている事ってなんだと思う?」
この人の話は、相変わらず突飛がなくて嫌いだ。背後から突然、飛び道具で狙われている心地になるから。
『……オナ二ー?』
「っぷ!!あはっ!あっはは!それ最高!今で聞いた答えの中で1番面白い!でも ざんねーん。自慰行為は、人が教えれば猿でもするらしいよ」
『……』
「正解はね “ いつか自分に、死期が訪れる事 ” これを知っているのは、人間だけなんだ」
『……』
「いつか自分は死んでしまう。死んでしまうのなら、それまでに何を成し遂げよう?何が欲しい?大切な人に何を残そう?
そうやって、未来の事を考えて行動出来るのも、人間だけだ」
『……』
「人に1番近いチンパンジーでさえ、未来の自分の為に行動出来るのは、せいぜい数時間 先まで」
『……』
「今をときめくアイドルってさ…自分にもいつか終わりが来るって、分かってるのかな?
今は求められて、持て囃されてるアイドルも、絶対いつかは…
死んじゃうのにさぁ?」
『……っ』
「もしも終わりを全く意識してないんだとしたら、価値ある偶像どころか…その辺の動物と一緒だよねぇ」
この人と話していると、精神が蝕まれる。
この人の言葉は、人の心の隙間に入り込み、毒を塗りたくる。
この人と話していると、分からなくなる。上も、下も、右も左も。ただ真っ暗い海の中を、1人で漂っているみたいだ。もう、何も分からない。正解も、不正解も。
精神が、ぐちゃぐちゃにされる感覚。心に刺さった言葉の棘が、傷をもたらし、やがて鈍く膿む。もうとっくに麻痺してしまっていて。痛いはずなのに、痛くない。痛覚すら、もう奪われてしまったから。