第94章 ほら、解決だろ
「簡単だろ?声を、入れなきゃいい」
『……は?』
「マイクを使わないんだ。アンプに繋ぐ必要もない。だから、ノイズも入らない。ほら、解決だ」
彼の提案に、唖然とする私と現場スタッフ。
感情は次第に、驚きから怒りに変わる。
『それが…どういう意味を指すのか、分かって言っているのですよね』
「当たり前だ。もっと分かりやすく言ってやろうか?いわゆる、口パクだ」
確かに、そういう手法を使う人達もいる。しかし彼らには、例え冗談であっても その言葉を口にして欲しくはなかった。
しかし、さらに状況は悪くなる。
「私も、それでいいと思います。このステージでは、ダンスに合わせて歌っている振りをする。そして後ほど、音源を当ててもらいましょう。
そういった事は、可能ですか?」
「え…あ、はい。まぁ…可能ではありますが、それで、よろしいんですか?」
「オレもそれでいい。前にもやったことあるし、上手く出来るから平気だろ。
どうせ、聴いてる奴らには分からない」
スタッフは、伺いを立てるような視線をこちらに向ける。申し訳ないが、彼は後回しだ。
私は、まだ言葉を発していないトウマの真正面に立つ。
『黙ってないで、意見を聞かせてください。貴方、ŹOOĻのメインボーカルでしょう。狗丸さんも彼らと同じように、口パクでやり過ごしても良いと、考えますか』
「……ああ」
私の縋るような期待は、見事に打ち砕かれた。
この怒りを、悲しさを虚しさを、どう表現すれば良いのか分からない。それでもなんとか、絞り出すように言葉を紡ぐ。
『……私は、認めません。そんな真似をするくらいなら、出演しない方が幾分も良い。
待ちます。機材が直るのを待ちますので、この話はどうか聞かなかったことにしてください。お願い、します』
そして私は、楽屋に戻るよう彼らを促した。