第85章 かっけぇわ
ランニングも食事も終わったら、私は中崎春人に変わる。
クールヴィズシーズンは、良い。煩わしいネクタイをしなくても許してもらえる、唯一の期間だからだ。
しかし、そんな期間と言えどもタイが必要な時はある。それは、大御所と対峙する時。あと、例えば今日のように…
「エリ、パーティ用のネクタイこれでいい?」
『いいね真紅!グッドチョイス』
そう。私達は今日、とあるパーティに出席予定だ。やはり畏まった席では、ネクタイが欠かせない。
龍之介は、衣装タンスに並ぶネクタイの中から細身のそれをチョイスする。
毎朝、私の為に彼がネクタイを選んでくれるのだが。この行為にはまだあまり慣れていなくて、少し恥ずかしくて結構嬉しい。
『あっ!私、パーティ用スーツをクリーニングに出したままにし』
「取って来てあるよ。これだよね」
『わ、ありがとう!』
「シャツもアイロンかけてあるから。はい、どうぞ」
『ちょっ、有能過ぎる。ありがとう!』
素早く戦闘服に着替えて、玄関へと移動する。見送りの為、わざわざ付いて来てくれた龍之介に向き直る。
「あ、待って」
『??』
「ネクタイ、歪んでるよ」
彼はタイへと手を伸ばした。そして結び目をきゅっと引っ張って、満足気に ひとつ微笑む。
「うん、完璧だ。今日も格好良いよ」
『ふふ、ありがとう。じゃあ行ってきます』
「行ってらっしゃい」
『また後で、迎えに来る』
「分かった。待ってるね」
玄関扉のノブに手を掛けてから、短い声を発す。
『あっ』
「どうかした?忘れ物でも」
『まぁね。ちょっと、屈んで』
「…あぁっ!」
ここまで言うと、彼も私がした “ 忘れ物 ” にピンと来た様子。そして、すぐさま背を低くしてくれる。私はそんな龍之介の肩に手を置いて、ぐっと背伸びする。それから彼の唇に、自らの唇を合わせた。
『行ってきます。今日も愛してる』
「俺も。じゃあ、行ってらっしゃい」
と、まぁ。
これが、最近の私が身を置く、幸せな朝だ。