第75章 俺に、思い出をくれないか
2人の口から出て来たのは、おおよそ反対の意味を持つ言葉だった。
『覚えてないわけ、ないでしょ』
「俺だって同じだよ。忘れられるわけが、ないだろ」
万理の双眼が、悲しげに揺れる。そんな顔をこれ以上 見ていられなくて、逃げるようにして視線を落とした。
怖いけれど、痛いけれど、私はまだ彼に伝えなければいけない事がある。
『違う…。私が貴方に、本当に伝えなくちゃいけないのは そんな事じゃない。
…10年前、私は万理から逃げた。
万理と夢を天秤に掛けて、夢の方を取った。
何も言わないで、置き去りにして ごめんなさい。
許してくれなんて、言えないけど…万理の心を、きっとたくさん傷付けた。
本当に、ごめん なさい』
どれだけ罵られたって、痛め付けられたって 足りない。昔の過ちを帳消しになんて出来ない。
けれど万理は、なんて事はないと言った様子で 笑って見せた。
「変わってないな、そういうところ」
『え?』
「泣くの、必死になって我慢してるだろ。昔と同じだ。
その顔見るたび、心の中で思ってたよ。我慢する事ないのに。俺の前で、泣いてくれればいいのにって」
『…どうして?』
「俺が、エリを抱き締める口実が欲しかったんだよ」
万理の手が、私の頭上へと伸びてくる。
「相変わらず、泣く時はいつも1人なのか?」
『…ううん。
いま、私の側には…優しいお節介な人がいてね。1人では、泣かせてくれないんだ』
「……そうか」
笑ってはいるけれど、どこか悲しそうにも見える その表情。
万理の手は、私の頭に乗せられることも、髪を撫でることもなく。静かに引っ込められるのだった。
「何も、謝らなくていい。
エリがいなくなった理由、なんとなく気付いてたから。
でも、俺も若かったからさ。
エリの重荷になってるの、薄々は分かってたけど。自分の事ばっかり考えてたんだろうな。
俺の方こそ、余裕がなくて。
エリを幸せにしてあげられなかった…
ごめんな」
『っ、そんなこと』
「2人とも、幼過ぎたんだ。
でも、今は違う。
時間が流れて、もう十分 大人になった。今ならきっと、やり直せるよ」
『…え?』