第75章 俺に、思い出をくれないか
不意に、場はピリついた空気に包まれる。
語気を強めた天を、不安げな顔で見つめる龍之介。全身から脂汗をかく私に、不可思議な表情を浮かべる楽。
とにかく、異様な空気感。
そんな中、万理は飄々と言ってのける。
「俺は、べつに2人きりじゃなくても良いですよ?」
一際、黒い笑顔を見せる万理。
とてつもなく、嫌な予感が私を支配した。
「…こいつね、昔は歯医者が苦手で。高校生にもなって1人で行けないって言うから、俺が付いていった事があるんですよ」
『ちょっ!な、何を言っ』
「あ…!春人が高校の時、歯医者に付き添わせた奴ってあんたの事だったのか!こいつから聞いてたんですよ、その話。
前に、俺が歯医者に付いて行ってやった時に。歯医者なんざ、1人で行けよって感じですよね」
【47章 1096ページ】
「……へぇ。八乙女くんが、一緒に行ってあげたんですね」
予想外の展開。私は、頭を抱える。
隣に立つ天が、囁くようなトーンで呟いた。
「精神攻撃か…。彼、見掛けによらず良い性格してるね」
『いや、呑気に分析してる場合じゃな』
「あ。あと、いい歳してピーマンが食べられないんですよ?もしかして、今でも食べられないままだったりして」
「はは!やっぱ昔からそうなんすね。今もこいつ、大の苦手ですよ。ピーマン」
『うぅ…、助けて。何これ、助けて…』
呻く私の隣で、天と龍之介が小声でやり取りをする。
「なんと言うか…凄い状況だよね…」
「楽、あんなに嬉しそうな顔しちゃって。
まさか自分が好きな人の元彼と、楽しげに談笑しているだなんて。本人は思ってもないだろうね」
カオスフィールドと化した、八乙女プロダクションのロビー。
この地獄のような展開は、まだ続く…