第65章 月みたいな人
『大丈夫ですか?またイジメられたんですか?』
「イジメられてないから、そんな目で睨むのやめてあげなよ。
なに。まだ仕返しし足りない?」
『はい』
「キミって意外と根に持つタイプだよね」
去り行く牧原の背中に、相変わらず鋭い視線を投げ掛けているエリ。自分の事を悪く言われた訳ではあるまいに。
ボクは随分、彼女に愛されているらしい。
彼女は、ボクが抱えていた花束を自分の方へ引き寄せた。それを託したところで、また新たな人影が近付いてくる気配がした。
「九条さん…今日でクランクアップですね。お疲れ様でした」
「ありがとうございます。撮影中は、ご迷惑をおかけしてしまい すみませんでした」
「迷惑だなんてそんなっ!」
次に労いの言葉と共に現れたのは、ヒロイン役の女優だった。
「あっ、昨日はコーヒーをご馳走さまでした。嬉しかったです…」
「………いえ、気にしないで下さい」
思い当たるまでに時間を要したが、ようやく理解が追い付いた。
昨日、暴走するエリを止めるために邪魔だったコーヒーだ。それを誰かに押し付けたのだが、どうやらその相手は彼女だったらしい。
「九条さんとの撮影は、凄く楽しかったです!私、お仕事がこんなに楽しいと思えたの初めてで、これってきっと、あなたのおかげだと思って、それで……その」
彼女が纏う、甘ったるい空気感。些か現場には不釣り合いな その雰囲気をいち早く察知したエリは、笑顔で言う。
『私は、スタッフさん達に話したい事がありますので、少し離れますね』
そして去り際。ボクの肩に触れ、耳に唇を寄せる。
『貴方なら大丈夫だと思いますが…
千さんが言っていた事、よく思い出して 返事をして下さいね』
先日、千の楽屋で彼が口にした言葉を思い起こす。
“ 君も気を付けるんだよ?若い女優さんは、簡単に落っこちてくるんだから ”