第65章 月みたいな人
この美しい月がどうしても見たくて、ボクはベランダに出て来たのだ。
今夜は雲ひとつない快晴で。空気の澄んだ冬の中でも、特別 綺麗に月が見えた。
1人空を見上げていると、ベランダの扉が開けられた。エリが出て来たのだ。
手には、マグカップが2つ握られていた。立ち上る白い湯気が、寒い空気に溶けている。
『こら、こんな寒い中なにしてるの。風邪引くでしょ?』
「ありがとう」
彼女が差し出したカップを受け取ると、ゆっくりと口を付ける。仄かに甘い、ホットミルクだった。
ボクが美味しいと呟くと、彼女は 蜂蜜入りだと言って笑った。
『で?どうして外に出て来たの?こんな大して広くないベランダから空なんて見上げても、何も特別な物は見えないでしょ。
なになに?お子様 天くんは大人の階段を登っちゃって、センチメンタルな気分にでもなってたのかな?』
「そのお子様に組み敷かれて、泣くほど いいようにされていたのは誰だったかな」
『ごめんなさい』
「分かればいいよ」
彼女の軽口からは、ボクを気遣う優しさが滲んでいた。冗談を繰り出しながら心では、大丈夫?もう辛くない?と、問い掛けているのが透けて見えている。
決して、さっきの事には具体的に触れない。どうして?とか、なんで?とかの言葉は使わないのだ。
そんなエリの、エリらしい気遣いに、ボクは今まで どれくらい救われて来ただろう。