第65章 月みたいな人
『そう…。
良かったね、って…言うべきなのかな。でも、ごめん。素直に喜べないな。
だって、あまりに天が 辛そうにしてるから』
「キミは喜んでいいよ。エリからもらった この経験は、絶対に演技に活かしてみせる。無駄にはしないって、約束するから」
ずっと天馬の気持ちが分からなかった。
あの場面で泣いた理由もそうだが…
本気で愛した人の気持ちを手に入れる前に、体を繋げるなんて。
それは、ボクの観念では到底理解出来なかったのだ。
でも。そんな浅ましい気持ちですらも、今では共感出来てしまう。
気持ちが手に入らないなら、せめて体だけでも欲しかったのだ。
綺麗事だけでは割り切れてくれない感情。痛くて甘くて苦しい、そんな例えようのない想いが胸を占拠していく。
こんな想いに心が軋んでしまうのも、大人に近付いたという証なのだろうか。
「……苦しいな」
『えっ、ちょっと、本当に大丈夫?どこか痛めちゃった?横になる?』
「ううん、平気。大丈夫だよ」
どれだけ痛くても苦しくても、これはボク1人で乗り越えなければならない壁だから。
深夜。隣の彼女は、すぅすぅと気持ち良さそうに寝息を立てている。起こさぬよう、出来るだけ静かにベットを抜け出した。
向かったのは、ベランダだった。そっと扉を横に引く。すると、冬の空気が肌を一気に冷やした。
カーディガンを羽織っては来たが、もう少し温かくしてくるべきだったと後悔する。
でも頭上を見上げれば、寒さをも忘れさせるような、美しい月が浮かんでいた。