第64章 首を絞めたくなりました
演者の苦労は、スタッフには理解し難い。スタッフの苦労が、演者に理解し難いのと同じで。
撮影がスムーズに行けば、現場でトラブルはまず起こらない。皆の心に余裕があるからだ。
人は、自分に余裕が無くなった時にこそ、心が荒れる。ささくれる。そして その鬱憤を晴らすべく、どこかぶつけ所を探すものだ。
「はぁ…今日の撮影は押したなぁ。オレ、彼女と約束あったのに。今からダッシュしても間に合わねぇよ」
「監督が頑固なせいってのもあるけどさぁ。やっぱ、あの役…九条天には早かったんだって。そう思わない?」
「思う思う。TRIGGERのさ、八乙女とか十とか?あんくらいの、大人の男をキャスティングすべきだったろ」
「だよねぇ。いくら歌とダンスは天才で、TRIGGERの中でもトップって言われてても、演技の方は…ね。
天馬を演じるには、九条はまだまだお子様って感じ?」
カメラから伸びる、長くて黒い配線をクルクルと器用に手繰る男達。その2人のスタッフの口から出た言葉を、私と天は、耳にしてしまった。
聞きたくなくても、もう、聞いてしまったのだ。
良かった…。天に、ここへ1人で来させなくて。私が一緒にいたおかげで、彼の代わりに私が怒る事が出来るのだから。
「ちょっと。コーヒー握りしめてどこへ行くの」
『え?どこって…アイツらに ぶっかけてやるんですけど』
「待って。違うでしょ」
『あぁ、そうですね。
“ 頭から ” ぶっかけてやりましょう』
「待って待って待って」
迷いなくスタッフの所へ歩みを進めようとした私。後ろに立つ天は、ガッツリと腕を掴んで制止した。
そして、私の手から湯気の立つコーヒーを奪う。