第64章 首を絞めたくなりました
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天にだけ見えていた暗雲。それが私にもはっきりと分かるようになったのは、千に会いに行ってすぐ後の事だった。
「うーーん……」
「すみません。もう一度、お願いします」
唸る監督が何かを言う前に、天はまた自分でカメラを止めた。もうこれで何テイク目だろうか。これまでのスムーズな撮影が嘘のように、天はNGを連発していた。
セットからこちらに戻って来てすぐに、自ら監督の隣に歩み寄る。
「まぁ、悪くはないんだよ。悪くはないんだけどね…。これだ!って感じでは、ないよね…やっぱり」
「それは、ボクも感じています。ご迷惑をかけて、申し訳ありません」
「いや、難しいシーンだ。妥協せず時間をかけようじゃないか」
監督の言う、難しいシーン。天を苦心させるそのシーンを説明すると…
ヒロインと天馬が向かえる、同棲生活ラストの日。ついに2人は、体を繋げる事となるわけである。
問題のシーンは、その直後。
愛する女性と結ばれ、幸せなはずの天馬が…
一雫の涙を 流すのだ。
『天、少し休』
「監督。もう一度お願いします」
「分かった。肩の力抜いて、行ってみようか!」
私の隣をすり抜け、彼は再びセットへと向かう。
衣服の乱れたヒロインが、胸元をシーツで隠して天馬を見つめている。そして小さく、案じるような声で男の名を呼ぶ。
天馬は そんなヒロインに背中を向けたまま、ベットの縁に腰掛けて…
静かに、涙を流すのだ。
「………ふぅ」
監督の、疲れを吐き出すかのような遠慮がちな溜息。隣にいた私だけがそれを聞いた。