第63章 彼氏でしょ
そんな天を、早く安心させようと私は口角を引き上げる。さきほど思い出してしまった、苦い記憶を振り払って。
『あはは。ごめん、大丈夫だよ。何でもない。
でも、九条さん驚くだろうなぁ…。私が、いまTRIGGERのプロデューサーやってるって知ったら』
「…知らせない方が 絶対いい」
『だよねぇ』
私が九条に最後に会ったのは、アイドルとして世に羽ばたくという夢が潰えた すぐ後。Lioとしての私が死んでから間も無くの事だった。
「九条さんに 演出関係の教授を受けていたのは、Lioとしてデビューする前?」
『うん。まぁ 教えてもらったって言っても、本当に基礎の基礎だけ。多分あの人の計画では、私がデビューしてからゆっくり仕込む予定だったんだろうけど。
その前に…あんな事になっちゃったから、いらなくなっちゃったんだね』
自分で言っておいてなんだが、思いのほか辛い。喉の奥がキュッと締まって、胸の辺りがムカついた。
私が、一体どんな顔をしていたのかは定かでないが。天は 私の手の上に、自分の手をそっと重ねた。
そして、小さく言った。
「ごめんね」
九条の代わりに、謝罪の言葉を口にした天。
『…ううん。いい。いいの。謝らないで』
だって天は何も悪くない。ただ、彼はやっぱり、とても優しい。
九条の代わりに謝る。九条の言い付けを守る。九条の傍に居続ける。
…男の心が壊れてしまわぬように。優しい彼は、囚われ続ける。
それなりの覚悟を持って、九条と共に歩んでいるのだろう。それが伝わって来るから、私からは何も言わない。
たとえ、九条が天に依存していると分かっていても。決して、互いに良い影響を及ぼす事はないと分かっていてもだ。
私は、胸中をこれっぽっちも悟られないよう、努めて明るい声を出す。
『…あはは。浮かない顔をした私に、優しい声を掛けて 手まで握ってくれるなんて!
天、彼氏みたい』
「彼氏でしょ。少なくても今は」
『そうでした!ではダーリン。明日の為に台本の読み合わせでもしますか』
「そうだね。よろしくハニー」
どこかで何度も聞いた事のあるような、やりとり。私と天は、くたびれた台本を手に取った。