第8章 なんだか卑猥で良いね
この一瞬で一体どこに消えた?ボクは焦ってキョロキョロと部屋を見渡す。
すると、なんだか上の方から彼の声が降って来たように感じた。
『ふぅ。危ないところでした』
春人は、いた。
掃除用具入れのロッカーの上に。
「危ないのはキミだ!!」
高さ1.5メートルはあるロッカーと 天井との隙間に、その身を潜めている彼の姿は、まるで忍者か何かだ。
やがて何事も無かったかのように、またボクの前に着席した。言わずもがな、周りの人は 漏れなく全員こちらを見て固まっている。
『…とまぁ、こういう事です。困ったものですよね』
「そんな、人ごとみたいに…。まぁ今ので分かったよ。キミの苦手な物が」
普段は嫌味なほど冷静な彼が、あんな事になってしまう程に “ 虫 ” が苦手らしい。
『昔からどうも駄目で…。脊髄反射であんな行動を取ってしまうんですよ』
彼は自分自身を落ち着けるように、既に冷めかけている紅茶に口をつけた。
『だいたい、何故アイツ等はあんなにも脚が多いんですか。脚なんて2個で充分でしょう。2個で。だいたい奴等は中身スッカスカで軽いじゃないですか!それなのに何故、あんなにも脚が多い…。蜘蛛なんて8本あるんですよ?脚が。人間の4倍ですよ。恐ろしい』
とにかく、脚が多い事が気に食わないらしかった。
「さぁ。昆虫にも昆虫の都合があるんでしょ?」知らないけど
普通じゃない男の、普通過ぎる弱点。
そんな事が分かったところで、別に何がどうって事は無いけれど。
少しだけ、春人との距離が縮まったような気がした。
まぁべつに、男と距離が縮まったところで。間違いなんて何も起きようがないし。どうだって良いんだけれど。
それでも、ちょっとだけ…嬉しかった。