第56章 見てない!見てない見てないよ!
「…そうか。春人くんの本当の名前は、エリちゃん っていうんだね」
ぽつりと言った龍之介を見て、私は はっとする。
そうだ。今は、私の貞操観念の話などをしている場合ではない。彼に、龍之介に。もっと大切な話をしなければいけない。
『天。私は龍と話があるから、先に部屋に戻っててくれる?』
「どうして?ボクがいたら何かまずいわけ?」
『まずくはないけど。私がエリだって貴方が知った時、2人きりでたくさん話をしたでしょう?
だから龍とも、そうしたい。お願い』
私が真摯にお願いすると、天は真剣な表情で考え込んだ。少しして、分かった。とだけ告げる。
そして、脱衣所の出口へと歩いて行く。
彼の背中が見えなくなってしばらくしてから、私は足音を殺して その方向へ向かった。
天の後を追う私を、龍之介は首を傾げて見ていた。
『…て〜ん〜!』
「……キミ、鋭くなった?」
天は、私達の死角に身を隠していた。無論、盗み聞きをする為に。すんなり私に見つかって、彼は気まずそう笑った。
『鋭くなったんじゃなくて、学習したの』
「はぁ…分かったよ。じゃあボクは大人しく部屋に戻るけど…
龍のこと、誘惑しないように」
『なっ!す、するわけない!』
天は今度こそ歩き出す。そして最後に、どうだか。と 背中で呟いた。
そんな彼を、廊下の向こうに消えるまで見送って。私は龍之介の元へ戻るのだった。