第56章 見てない!見てない見てないよ!
先程そこで見つけた うちわで優しい風を送り、水で濡らしたタオルを額に置いた。いま出来る事はこれくらいだろうか?おそらくは、すぐに目を覚ましてくれると思う。
彼女の胸が小さく上下しているのを時折 確認して、俺はその時を待った。
タオルの上から浴衣をかけたお陰で、なんとか直視出来るようになった。
改めて、彼女の顔を見つめる。
春人の顔付きとは、随分違う。唇は今の方が ふっくらしているし、輪郭も女性らしい。眉もいつもより細いし、鼻の形も違う気がする。
化粧で、こうも人の顔が変えられるとは驚きだった。
それよりなにより…
「…か、可愛いなぁ」
春人も女性的で可愛い顔をしていると思っていたが、女の子だと分かると、なおの事 可愛らしく見えてしまう。
「睫毛…長い」
綺麗な眠り顔。ただ眺めているだけなのに、まるで魔法にかけられたみたいだ。何故かどんどん、彼女に吸い寄せられる…
気が付くと、俺は真上から彼女を見下ろしていた。顔の横に、手を突いて。残された短い距離を、さらに、縮めて…
「龍!」
「うわぁっ!!」
口から心臓が出そうになるとは、まさにこの事。急に背後から名を呼ばれて、跳ぶように彼女から距離を取る。
そして後ろを振り返ると、そこには天がいた。
天は、珍しく荒々しい所作で彼女に近付く。そして、じっと見下ろしてから言った。
「…はぁ。信じられない」
どうやら彼は、俺と彼女の身に何が起きたのかを、瞬時に理解したらしい。
そして、キッと俺を睨み上げた。