第56章 見てない!見てない見てないよ!
「あれ…おかしいな?春人くん、ここじゃなかったのか。部屋にはいなかったし、脱衣所に浴衣もあったのに…」
龍之介が掛かり湯を済ませて、こちらへと近付いてくる。
駄目だ、駄目だ、この危機を乗り切れるビジョンが全く浮かばない!
『い、います、ここにいます!』
「あ、良かった。やっぱり春人くんも ここにいたんだ!温泉って、何回も入りたくなっちゃうよね」
『そ…うですね』
「先に体洗ってくるから、そしたら後で一緒に入ろうな!」
『え…。あ、いや』
龍之介が遠ざかって行く気配がする。さぁ…
さぁ考えろ私!!このピンチな場面、どうすれば脱却出来るかを!
出口までダッシュで駆け抜けるか?いや無理だ。脱衣所に出るには、どうしたって龍之介の隣を通らなければいけない。
私に与えられた装備は、フェイスタオル1枚。切り抜けられるわけがない。
「ふぅ、さ!俺も温まろう」
『早いですね!!』
龍之介の気配に、私はザバっと体を湯に浸ける。立ったままの姿勢では、さすがに大岩にも隠れられないからだ。
「そうかな?ねぇ、そっち行ってもいい?」
『だ、駄目です』
「え…」
『私、その!裸を、見られるのが恥ずかしくて。そう、恥ずかしくて!!だから、ちょっと、こっちには!』
近付いてこようとする龍之介を、なんとか制止する。
よし。これだ!
もしこれが楽だったなら、そんな寂しいこと言うなよ春人!とか言って強引に近付いてくるだろう。
しかし今 私の目の前にいるのは、優しい龍之介だ。彼が相手ならば、このままやり過ごせる。
そして、彼が露天を出たのを確認してから、私も上がれば良いのだ。もうこれしか手はない。