第55章 “ お約束 ” の においがプンプンしますな!
「しかし この季節に鱧って珍しいよな」
『楽、鱧の本当の旬は 秋なんですよ』
「え、そうなのか?」
私は、楽の前に置かれている鱧を見ながら説明する。
『はい。鱧は、冬眠をする生き物ですから。冬に備え、食べ物をたっぷり摂って身が肥える秋こそが 旬なんですよ』
「へぇ。じゃあなんで、夏が旬ってのが通説になってるんだ?」
『それは、昔の……』
私は、はた。と話すのを止める。ぶっちゃけると、説明するのが面倒になったからだ。
どうして、鱧の旬が夏だと世間は誤認しているかを解説するには、かなりの時間がかかる。
『…昔の名残です』
「おい。お前いま明らかに面倒になっただろ」
『ご両親から教わりませんでしたか?何でも人に聞かないで、自分で調べろって』
「腹立つな」
『でもそうですね。その鱧の天ぷらを対価として差し出すというのなら、私が懇切丁寧に教えて差し上げても良いですよ』
「腹立つから後で自分で調べる」
簡単に機嫌を損ねてしまった楽。私が笑いを噛み殺していると、龍之介が苦しげな声を漏らした。
「っく…春人くん、ごめん!君が鱧天を食べたいと思っている事に気付けなくて…!俺はもう、全部…食べてしまったんだ!」
『あ…いや、そんな深刻になられても』
龍之介は、まだ一口も食べていないサンドイッチを地面に落としてしまった時ぐらいの悲壮感を漂わせていた。
その時だ。天が、楽の天ぷらを ヒョイと横取りして、こちらに差し出した。私は躊躇なく それにパクついた。
「おい天、べつに良いけど 何するんだよ」
「授業料。天ぷら1つ分の価値はあったでしょ。鱧の旬が知れて良かったね」
楽は天を睨んだが、とうの本人は それを無視して食事を再開した。龍之介は、他に何か食べたい物がないか私に聞いてくれる。
そんなこんなで、いつもより贅沢で楽しい食事の時間は過ぎていった。