第54章 もう全部諦めて、僕に抱かれろよ
部屋へ帰り着いて、そこに広がった光景を見たら一気に夢から覚めた。
ぴっったりと、くっつけて敷かれた2組の布団。それがこんなにも生々しく見えたのは初めてだ。
私は飛ぶように部屋へ上がると、ひっついた布団を急いで引き離した。
「……そんなに距離を開けなくてもいいんじゃないか?」
『いや、でもほら…ね、念の為に?』
2組の布団を見ていたら思い出してしまう。自分だけが変な考えを持っていた事を!
千は、私に綺麗な景色を見せようとしてくれていたのに。比べて私はどうだ!?
体を要求されるかも、とか。ムードがどう、とか。外でヤるのはマズイ、とか。
淫乱なのか!汚れているのは私だけなのか!
『……はぁ』
「どうかした?」
『ちょっと、自分が情け無いやら、嫌気がさすやらで…。歯を磨いて来ます…』
もう、こうなったら早く寝てしまおう。朝になったら忘れているだろう。…いや、忘れてはないだろうが。
とにかく。私が1人で勝手に不埒な思考を巡らせていた事を、千に知られなかっただけマシだ。
そう無理矢理に自分を納得させる。そして、歯ブラシの上に歯磨き粉を乗っけて口へ放り込む。
…ホテルとか旅館の歯磨き粉って不味いよな。そんな事を考える私の背後に、千が現れた。
「僕も歯磨きする」
『ん…いいけろ…』
どうして、わざわざ洗面台に2人並んで歯を磨く必要があるのだろう。私が終わってから来れば良いのに。
そう思い、千に聞いてみようかと思ったが、歯を磨いているので当然ながら喋れなかった。
まぁ、べつにいいか。
再び私は手を動かし始める。
千は歯ブラシを手にする前に、自らの耳に手をやった。そしていつものピアスを外し、鏡の前にカチャリと置いた。
明日の朝、これを彼が忘れてしまわぬよう、私が気を付けよう。そう思いながら見つめていた。
やがて洗面台に、2人分のシャコシャコという音が響いた。