第54章 もう全部諦めて、僕に抱かれろよ
もうすぐだよ。
千の言葉に、ごくりと唾を飲む。辺りをキョロキョロと見渡せば、向こうの方に本館が見えた。よく目を凝らせば、中で動く人影らしき物も見て取れる。
『こ、ここは…まだあんまり良くないんじゃないかなぁ?』
「でも着いた」
『えっ、つ、着いちゃったの!?せめてもう少し……遠、く…』
視線を前へ戻した私の視界に、それは飛び込んで来た。
左右からライトアップされた、イロハモミジの大木。真っ暗闇の中に、ぽっかりと浮かび上がったその姿に、思わず息を飲む。
しかも そこにあったのは、ただ紅葉した大木だけではない。その足元には、大きな池が広がっていた。
水面波は全くなく、巨大で真っ黒な鏡のような溜池。そこに鮮やかに色付いたモミジの木が映し出されている。
まるで美しい巨木が地面にも、存在しているかのようだ。
『……狂ったみたいに、綺麗だ…』
「ふふ、やっぱり君とは、感性が似ているのかもしれないな。
僕も初めてこれを目にした時、百に言ったよ。狂っているみたいに美しいって」
木に掴まっていた葉が、ヒラヒラと舞い落ちる。それが池の中に着地すれば、そこを中心に波紋が広がる。
そうして水面の揺らぎを見るまでは、それが池である事を失念してしまいそうだった。それくらい、地上の紅葉をそっくりそのまま映し出しているのだ。
『…そっか。今やっと、分かった気がする。
千は、この景色を見る為に、京都に来たかったんだね』
「それは少し違うかな。
僕はね、この特別な景色を… “ 君と ” 一緒に見たかったんだ」