第54章 もう全部諦めて、僕に抱かれろよ
「どんな姿でもエリちゃんは魅力的だけど。やっぱり今の方が、しっくり来るな」
千は顎に手をやって、女に戻った私をしげしげと観察した。こちらが本当の姿だというのに、そう見つめられては気恥ずかしさを覚える。
『ちょっと千、見過ぎ…!あ、ほら。晩御飯の前に温泉に行こうよ』
「いいね。で、部屋風呂と大浴場。どっちの温泉に入る?
君が前者を選んでくれると…一緒に入れるんだけどな」
『大浴場で』
「そう、それは残念だ」
私達はお風呂セット一式を持って、大浴場へ行く為に廊下を行く。
離れと本館を繋ぐ長い廊下からは、それは見事なお庭が見える。
庭には、紅葉をはじめとした様々な広葉樹が立ち並ぶ。ヒラヒラと舞い落ちる葉が、私たちの目を楽しませてくれる。
ほど近い場所に、大浴場への入り口はあった。青と赤の暖簾には “ 男 ” “ 女 ” とそれぞれ書かれている。
赤い暖簾を手の甲で持ち上げる私を、千は じっと見つめる。
『…なに』
「いや、さすがに温泉は 男湯じゃないんだと思って」
『さすがにね!!』
「ふ、冗談だ」
男性トイレには、堂々と入るのに。と、彼の目は言っていた。しかし、トイレと風呂では大きく違ってくる。
千は どこまで本気で、一体何を期待していたんだろうか…
やはり、温泉と言えば露天だろう。
軽く体を洗って、檜で出来た露天風呂へと直行する。そこは、当然のように貸し切りであった。
客は全部で4組なのだ。ブッキングする可能性の方が低い。私はありがたく、1人悠々と湯を楽しませてもらう。
広い大浴場に1人きりとなると、泳ぎ出してしまいたくなるのは自分だけだろうか?
まぁ、本当に泳いだりはしないわけだが。
この湯船からも、見事な紅葉を見る事が出来た。しかし私は 染まった紅葉を見ないで、男湯と女湯の高い仕切りを見つめていた。
『……』
(向こうでは、千もいま温泉に浸かってるんだよな…当たり前だけど)
私は、千が湯船に浸かっているとシーンを想像してしまった。まだ湯に入ってそれほど時間は経っていないというのに、もうのぼせてしまいそう。
なんとなく鼻の下まで湯に浸かって、口からブクブクと空気を出した。