第47章 《閑話》とあるアイドルの休日
グレーの色をしたソファに背を預けると、ぎしりとスプリングが軋む。
それにしても、春人は可哀想なくらい落ち込んでいる。待ち時間の間に、緊張を少しでも解いてやろうか。なんて親切心が芽生えるほどに。
早速、明るい声で話しかけてみる。喋っていれば、多少 気も紛れるだろう。
「そんなに歯医者が苦手か?」
『はい。もう、全部が無理ですね。
この、医者とは違う独特の消毒液の匂い。高速回転する小型ドリルの音。それに、治療椅子の あの禍々しいこと…』
「ま、禍々しいか?」
『歯医者に平然と通える全ての人間を、尊敬しています』
「子供か…」
『楽には分かりませんか。この気持ちは。
はぁ…きっと千なら、絶対分かってくれるのに』
「俺らの先輩を呼び捨てにするんじゃねえよ。っていうか、先端恐怖症の人間を引き合いに出してでも仲間欲しいのか?」
千さんの事を、千と呼び捨てにした春人に驚いたが、会話を再開させる。
「そんなに嫌なら、虫歯なんか作るなよ」
『何を言っているんですか。私は虫歯ではありませんよ』
「は?いやだって、あんた歯が痛いんだろ」
『歯医者が嫌いな私が、虫歯など許すはずないでしょう。入念な歯磨きは勿論、デンタルフロスに歯茎マッサージ。それらを絶対に欠かしはしません。
ほら、見て下さい。その証拠に、痛む場所も黒くなんてなっていないでしょ』
そう言って春人は俺に近寄ると、ぱかっと口を開いてみせた。
患部を見ろ。そう言いたいのだろうが、正直言って俺はそれどころではなかった。
この、体が触れ合いそうな至近距離。桃色の唇。それらがやけに生々しくて目が離せない。
いやが応にも、思い出してしまうのだ。
夢の中での、春人とのキスを。