第10章 想いのある場所
聞こえなかったか、とサッチはマストを降りもう少し水琴へ近づく。そしてロープの途中でさっきよりも大きい声で呼びかけた。
するとようやく水琴はきょろきょろと辺りを窺い始めた。
「こっちこっち」
水琴がサッチを見上げる。まさか上にいるとは思わなかったのだろう、目を見開いて驚いているのが見えた。
「サッチさん、そんなところで何してるんですか」
「今日見張りだから準備をね」
「あぁ、今日サッチさんなんですね。お疲れ様です」
するするとロープを伝い降りて行く。
水琴の前に降り立てばおぉー、と感心した声を上げた。
「すごいですね、あんな不安定なロープをするすると」
「そっか?慣れればわけないって」
「いやー、私なら無理です。見張り台に辿り着く前に確実に落ちます」
「嫌な自信だなそりゃ」
楽しげに話す水琴の顔には部下から報告を受けたような危うさは見受けられない。
杞憂だったか、と安堵しかけた時だった。
ふと、水琴の表情が曇った。
「…やっぱり、全然違いますね」
ぽつりと洩れた一言。
「水琴ちゃん」
「私なんかどれだけ鍛えようとしても皆さんの足元にも及びませんよねやっぱ!」
ぱっと表情が切り替わる。見てくださいよこの二の腕!と細い腕をサッチに見せる。
取り繕ったのがばればれだ。
今の一言がそういう意味で言ったのではないと、なんとなくサッチは察した。
「水琴ちゃんも筋トレすれば筋肉つくって。見ろよ俺の上腕筋!」
「わ、すご!卵入ってますって卵!」
しかしあえて気付かないふりをする。
踏み込むのは簡単だが、それをしていいものかどうかサッチは迷っていた。
大人になればなるほど、人との距離は測りづらいものとなっていく。
特に水琴の場合、ふとした瞬間に見せる表情にどこか人を寄せ付けない空気を感じ、あと一歩が踏み出せないでいた。
これがエースなら考えずに遠慮なく土足で殴りこんでいくんだろうな、と心の隅で思う。
「いいなぁー。それだけムキムキなら簡単に上れそうですよね」
「上ってみる?」
「…へっ?!」
サッチは驚く水琴の前でマストを指差した。