第29章 帰ってきた日常
泉のある島を出て一月。
モビーディックは変わらず新世界の海を渡り歩いていた。
穏やかな風が吹く甲板で手すりにもたれかかり、エースはただ何とはなしに水平線を眺める。
その指先では赤いペンダントがきらりと光る。
「エース最近元気ねぇな」
「あいつと仲良かったんだから、そりゃいなくなってショックだろ」
「あいつって?」
「ばっかお前!あいつだよ!…えーと、ほら。あれ…?」
この船の末っ子が元の世界に帰り一月。
クルーの中にはすでにその存在を忘れている者も存在していた。
この世界でどれだけ触れ合っていたかもカギとなるのか、特によく交流を重ねていた隊長らはまだ覚えているが、何を語り合い、何をして過ごしていたのかはもうほとんど思い出すことができないでいた。
完全に彼女の存在が消えるのも時間の問題だった。
彼女がいなくなり一番変わったのはエースだった。
あの太陽のように明るい笑顔はなりを潜め、ふとすればぼーっと海を眺めることが増えた。
事情を知る者は時間を解決するのをただ見守るものの、先のクルーたちのように記憶を失くした者からすれば今のエースの状態は異常で、このまま放置すれば船全体の士気にも関わるだろう。
なによりも、白ひげは自分の息子がただ一人黙って傷つく姿をこれ以上見ていることができなかった。
「エース」
低く名前を呼ぶ。すぐに気づいてエースは甲板の指定席へ座る白ひげへと近寄った。
「親父。どうした?」
「辛いか」
ただそれだけを聞く。突然問われたエースは一瞬目を丸くすると、ふっと静かに視線を下げ笑った。
「辛い、か……そうだな。ちっとばかし、辛いかな」
心配かけてごめん。と俯くその頭に白ひげの大きな掌が乗る。