第1章 思ひせく胸のほむらはつれなくて涙をわかすものにざりける
葵が茶屋に引っ張り戻される頃には夕方だった。
陽露華が夕餉の準備をしていると、台所に公任が来た。
何でも、する事がなくて手持ち無沙汰だそうだ。
公任は簀子に腰掛けて、人参を切る陽露華の背中を眺めていた。
暫く黙っていたが、陽露華が味噌汁を完成させる頃に、公任はついに沈黙を破った。
「昼間の酒飲みとは、知り合いなのか?」
思ってもない質問だったので、陽露華は思わず蓋を落としそうになった。
「違いますよ。葵に届け物を頼まれて行った今日が初めてです」
嘘をつく必要はないので真実を話した。
公任は聞いて来た割には興味なさげな返事をした。
「葵は顔見知りか?」
「……その様です」
お使いを頼んできた時の様子を思い出して答える。
「どうして君に頼んだんだろうね?」
「私は知りません」
陽露華は公任の、意味がないと思わざるをえない質問にうんざりしてきた。
公任はおもむろに簀子から立ち上がると、陽露華の隣に並んだ。
「怖かったか?」
陽露華は答えなかった。その代わりに、
「正気ではないな、と思いました」
握り締めた両手が小さく震えていた。
公任はその様子を見て、長い睫毛のついた目を伏せた。
夕餉は茶の間で4人で食べた。